9月25日に行われた豊島ゼミの報告
この日参加してくださった方と、産廃現場を視察。
そして「豊島こころの資料館」で砂川さんから当時の話を聞きます。
この日はいつもよりリラックスした雰囲気でいつもとは少し違った話も出たそう。
(いつも砂川さんのサポートをしている堀尾先生より)
この「こころの資料館」で83歳になる砂川さんが当時の話をし続けてくださっているのは
産廃問題の最終合意が計られた頃に決意されたある出来事から。
県との最終合意が得られた後、住民は県と町の主導で資料館を建設しようとした。
この際に、長年共に闘った中坊広平氏から「行政依存の安易な考えで資料館を作る事は人間廃棄物として世にさらけ出す事だ。学びの島として再生する事は至極の技だ。人の心を揺り動かせるだけの情熱がなけえばできず、出来たとしても誰も来ない島になろう。」と叱咤を受けた。そのとき、「自分は死ぬまで産廃の歴史を伝えていこう」と決心したという。
「世の人に大変な支援を受けた。その人たちのためにも伝え続けていかんと思います。」
その想いから「枕から頭が離れている間はみんなの役に立ちたい」と83歳になった今でも産廃見学ツアーのガイドを引き受けてくださっている。
豊島ゼミ配布資料「アーキペラゴツアー 豊島編」より
お昼からは石井さんも合流し豊島食材で作る「豊島中華」をほおばりながら座談会。
ここでは私の印象に残った言葉をご紹介。
「これまでは県や業者を相手に闘ってきた。
25年という長い年月、島の住民が闘った。この事は本当にすごいこと。
でもそれは外に向けた闘いであって、
最終合意後の現在そしてこれからは
学びの島、豊かな島として島を再生をめざし、自分たちにとっての豊かさとは何なのか
自分たちの内側に向けていかなくてはならない。
その事を実現させていく事の難しさを感じます。」
この日は特別に豊島の一番高い展望台へ連れて行って頂きました。
360°の瀬戸内海。
夕方、唐櫃の棚田の空にうっすら虹がかかっていました。
この日、講師をしてくださった砂川さん、石井さん、
また参加してくださった皆さまありがとうございました。