アーキペラゴゼミ 豊島編

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アーキペラゴゼミ 豊島編

86歳が語り継ぐ豊島事件

2014年06月20日


梅雨の中休み、だんだん日差しが強くなってきた土曜日、
6月の豊島ゼミは神戸や大阪から参加者を迎えました。

今回は「こころの資料館」で、砂川三男さん(86)が
1975年の新聞記事を指しながら語り始めました。
室内の壁には、豊島の海岸線を示した航空写真、
数々の新聞記事、事件の年表が張られています。

豊島住民が一体となり、戸主549名が公害調停申請人として
名を連ねた1993年からすでに20年以上経過。
調停成立を見ることなく亡くなられた方は半数以上、
名前に黒いリボンがついています。
(写真は、名簿の前で説明する砂川さん。この日、取材がありました。)

ことの発端から、豊島住民は行動を起こしています。
県へデモ行進をしています。裁判も起こしています。
なのになぜ…、どうして豊島事件は国内最大規模と言われるほどになってしまったのか。
経緯を追いかけながら、
住民と弁護団がどのように行動を起こして、今日へつないできたのか、
住民の思いをまとめ、長年のたたかいを率いてきた元議長の言葉は、
静かな資料館に深く響きます。

豊島ゼミでは県の施設も見学して、建物の2階から現場を眺めました。
いま、産業廃棄物の無害化撤去は全体の処理量74%です。

豊島ゼミ解散後、島のおかあさんの味が並んだ「うらら」さんで
砂川さんを囲んで希望者と一緒にランチ会を持ちました。
その時の感想はまたの機会にアップしたいと思いますが、
先月のアースディ後、体調を崩されたという砂川さんを心配しながらも
「ぜひ豊島事件を語り続けてください」
「豊島ゼミの定期開催をのぞみます」など、
参加者から熱いエールがおくられました。
初めて参加の方も、数年ぶりに参加の方も、
「また砂川さんの話が聞きたくなる」と話されていました。

次回の豊島ゼミ、日程がきまりましたらこのブログでお知らせします。
(豊島ゼミコーディネーター:山下ナミ)



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