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【Report】多島海ツーリズム豊島・小豊島

2009年11月30日

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瀬戸内の多島海は、11月でもあたたかい。雨雲が風に流され、日差しが海面を照らせば、陸地の姿が見えてくる。左に見えるのは小豊島(おでしま)、右に見えるのは豊島(てしま)、遠く真ん中に見えるのは屋島(やしま)だ。屋島の麓に開けた港・高松から船に乗り、僕らの旅が始まる。

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今回の旅の水先案内人は、地元高松で革新的な活動を続ける栗生さん。島々を渡り歩くなか豊島と出会い、豊島に恋をした彼女は、今、豊島に毎週通う。多島海と恋をする彼女から旅のガイダンスを受けた後、乗船。最初に向かうのは小豊島、高松からの定期航路はない。豊島フェリーさんが用意下さったチャーター船での渡航となった。

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小豊島は、牛の島だ。島の人口の何倍もの頭数の肉牛を飼い、生計を立てて来た人々が暮らしている。島に牛を運び、暮らしを支えて来たのが舟だ。すこし前まで、舟は木で出来ていた。木を加工し、舟を造ってきた舟大工の夫婦が、この島に暮らしている。出迎えてくれた奥さんに案内いただきながら、小さな集落を歩く。軒先の様子から、シンプルで無駄のない、きれいな暮らしがあることがわかる。廃校脇の公民館で、僕らはとびっきりの昼食と、あたたかいお茶をいただいた。

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舟大工の竹内さん、85歳。木の舟を造って来た船小屋も、作業台も、イスも、全て木で出来ていた。ザクロが揺れる工房で、僕らは寡黙な竹内さんが少しずつ語る言葉に耳を傾ける。先代と作った舟の話、木に替わった新素材の話、そして舟の守り神「舟魂さん(ふなだまさん)」話。目の前で舟魂さんを造る竹内さんは無口のままだけど、作業は確実だった。「イッテンチロク、ミヨシミアワセ、トモシアワセ・・・」呪文のようにつぶやきながら、丁寧に舟魂さんを仕上げる。その言葉の意味は何ですかと問えば、「無理すんなってこっちゃ。無理しなきゃ、みんなが幸せってこっちゃ。」と、竹内さん。「お父さんは、ごそごそ仕事するのが好きなん。」と、奥さん。船小屋の中にある使い込まれた道具たちは、出番を待っているように見えた。庭先には、息子さんが採って来たという大きな貝の貝殻が、誇らしげに干してあった。

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豊島に渡った僕らは、栗生さんが港に開いたバール「HITAKI」へ。イチゴ屋さん!と親しまれる島一番のイタリアンシェフがパスタを作ってくれた。小豊島帰りの腹ぺこな僕ら、その目の前に島のオリーブが贅沢に使われた柚子の香りのペペロンチーノ。競うように箸を延ばし、うまいうまいと食べる。冷えたワインが有り難かった。食事の後、ストーブを囲むように皆でイスを並べた部屋で、島の人を囲んで話し込む。島のお祭りの話、結婚の話、葬儀の話、おのろけ話もあったかな。餅つきの時に掛け合いで歌う「祝いの歌」が出てからは、歌合戦。島に伝わる「締めの歌」で、宴はひとたび幕を閉じた。また来たい、また会いたい。そう思ってしまう、この人のあたたかみは何だ。

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旅は2日目、栗生さんの基地「ブワナアユ甲生(こう)別館」での朝。彼女の手料理で朝ご飯。ウニと椎茸のスープの味が忘れられない。支度を済ませ出発、皆で集落を散策、島の旧家「片山邸」へ。荘厳なお屋敷を拝見しながら、この島の歴史に意識が向かって行く。お茶をいただき、この島に似つかわしくないほどの細やかな造形に目をやりながら、かつてこの島を愛し、この島のために矢面に立った人の存在や、この家の主と住民との共同体の存在を感じずにはいられなかった。

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片山邸を後にして、僕らは石井さんの車で豊島の最高峰・壇山に登った。石井さんは、この多島海では知らない人のいない革命家(だと僕は思っている)だが、現在はこの島で「ヤギとハナバタケ社」という観光案内会社を営んでいる。山頂からは、瀬戸内の多島海が箱庭のように見えた。ゆっくりと進む船の存在が、それが絵画ではないことを思い出る。1000年スケールで語られる島の歴史は、日本人の記憶とオーバーラップするようで、脳が揺れる。最高峰は水瓶の役割も果たし、豊かな森を育み、泉が湧き、作物をもたらした。この島は、長い間、生物にとって豊かな島であったのだろう。豊かな島と書いて豊島、ということか。

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壇山から降りて、島のイートイン総菜屋「うらら」へ。「鴨を打って来たらしいから!」と、この日に猟師が射止めた島の鴨を大胆に調理した鴨鍋。雑魚を背開きにし、酢飯を詰めた豊島キュイジーヌ。島の猟師、漁師、ご近所さんとの不断のつながりが、この豊かな食卓に結実しているのだろう。気さくな奥さんがテンポよく料理を説明し、話はご夫婦の馴れ初めにまで。「お父さんがポケットに入れてくの。甘い物が好きだから・・・」大切な干し柿をいただきながら、僕らはまた、あたたかい気持ちになった。

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そして僕らは、近代豊島の震源地へと向う。案内いただいたのは、廃棄物対策豊島住民会議の元議長の砂川さん。砂利道を走り、バスが到着したのは廃棄物投棄現場、現在は処理施設がある島の海岸だ。海を渡って島にもたらされた廃棄物、それとき合って来た島の人たちの半生がここにある。行政主導での処理が始まった今、砂川さんは一歩ひいて様子を見つめる。循環型社会実現に向けたモデル事業とまで謳う処理施設の広報ビデオのことは置いておき、今回僕が初めて知ったのは、施設を紹介してくれる県職員の方が、実は、かつての島の有志の娘さんだと言うことだ。かつて島と行政は争った。そして今、島を代表したメンバーの娘さんが、行政の施策の説明る。背景や立場を背負いながら、それでも中立的に説明する彼女に、僕はビックリした。そこに感じたのは、人間の持つ寛容性であり、歴史の持つ自己治癒力なのかもしれない。世代を超えて怒りや憎しみを持ち越さないことができた時、世界は少しだけ変化するのだろう。心の資料館に場所を移し、砂川さんの言葉を聞く。大きな白い紙には戦友たちの名前が刻まれ、黒い点に見えるは喪章だ。「次は自分の番だ。」という砂川さんは、とてもきれいな顔をしていた。「豊かなふる里、わが手で守る」と書かれたり紙と、イスに腰掛け、当時を語りながら震える砂川さんの手が、僕の中で静かに結びついた。彼らは、この島を守ろうとした。自分のためにではなく、未来の島民のために。 ふる里とは、つくるものだろう。

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産廃投棄現場の隣にある静かな入り江、その海辺に建つヨットハーバー・アモーレ豊島リゾート、3日目の朝。隣の小豊島では、舟大工の竹内さんご夫婦が朝仕事を始めたかもしれない。隣の入り江では、今日も産廃処理施設が稼働する時間だろう。隣にある存在、そのまた隣にある存在。お互いがお互いの存在に配慮しながら、それぞれの思う最善を尽くしている世界が、ここにはあった。多島海というフィールド悠久の時間の流れの中で、人間の営みや自然との共生は、ごくごく自然に育まれ、侵した過ちや、それによって負った傷さえも治癒しながら、緩やかな関係性と共同性がつむがれ続けている。

知らなかったことを一つ知り、まだ知らないことがあることも知る。栗生さんたちに手を振り、僕らはまた、それぞれの旅に向かった。瀬戸内の多島海は、11月でもあたたかい。

(文責/イシクラ)


【Report】小豆島myオリーブ倶楽部 井上誠耕園のオリーブ収穫祭

2009年11月26日

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10月25日、小豆島にある井上誠耕園のオリーブ収穫祭へ行ってきました。今年で3回目の参加となりますが、毎年楽しみにしているコトの一つです。

8:32、高松港を出発。あいにくの空模様です。が、空一面の雲を眺めるものいいものです。
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フェリーで60分、海をゆっくり楽しんで小豆島池田港へ到着。
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小さく見えるのは、池田を象徴するともいえる秋祭りのちょうさ。港の屋根になっています。

会場にはすでに大勢の方が集まっています。
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早速、オリーブの収穫に畑へ向かいます。myオリーブ倶楽部のmyオリーブの樹は、素晴らしく見晴らしの良い場所に植えられていて畑からなだらかに海へと繋がる光景を一望できます。
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手前は2代目が大切にしているみかん畑です。

myオリーブの樹は、すくすくと育ち、たわわに実ったオリーブの樹が迎えてくれます。
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早速、収穫開始。井上誠耕園では、少しでも傷がつくのを防ぐために全て手摘みで収穫します。一粒一粒優しく摘んで、そっと籠に入れていきます。一本の樹全てを収穫するには、一日かかっても難しそう。一時間ほどお手伝いして、会場へと戻ります。
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会場では、高松でケータリングレストランをしている中野シェフのオリーブをたっぷり使った料理が並んでいます。実は、中野シェフの料理が目的で参加している方も多いのです。私もその一人。高松でいただく中野シェフの料理も最高ですが、オリーブ収穫体験後、オリーブの樹に囲まれていただく料理は、ここでしか味わえないものです。
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飲み物もたっぷりと用意されています。中でもおすすめが、絞り立ての蜜柑ジュース。こちらもこの場でしか味わうことが出来ないものですね。
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そして、さきほど収穫したばかりのオリーブをしぼったオリーブ油も頂くことができました。まさにフレッシュ。パンにつけて頂くと、いくらでもお腹の中に入ります。最高です。
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鈴木さんのパエリアも楽しみにしている一つです。
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井上誠耕園さんのオリーブ収穫祭、ここでしか味わえない体験が満載のイベントです。来年も楽しみです。
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右端が2代目。

お天気が心配されましたが、井上園主のお父さんの強い願いがかなってか、雨は落ちてこず、楽しい一日を過ごすことができました。
井上誠耕園さんの皆さん、ありがとうございました。来年も楽しみにしています。



【Report】多島海ツーリズム・大島

2009年11月22日


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21日、多島海ツーリズムが始まりました。21日は、大島日帰りプランと、豊島・小豊島2泊3日プラン、そして22日に男木島日帰りプランが開始されます。
大島プランの参加者は総勢15名。ほぼ高松在住の参加者となりましたが、わざわざ岡山から参加してくださっ方もいて賑やかなツーリズムとなりました。
コーディネーターは、高松を拠点にコピーライター・クリエイティブディレクターとして活躍する人見さん。今年の3月に初めて大島を訪ねて出会った大澤さんに魅了されたことで今回の企画をプランしてくれました。
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参加者の皆さんへ想いを語る人見さん
高松から船で約20分で大島へ到着。やさしい笑顔の大澤さんが出迎えてくれました。大澤さんは、大島で福祉を担当されています。
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大島は病院であることを理解して節度をもって訪れてほしいと語る大澤さん。
大島を知るには、まずは「ハンセン病」のことを正しく知ってほしいということで大澤さんの体験も交えて話していただきます。かつて誤った知識しかなかった為、多くの方が悲しい体験をしなければならなかったこと、そして、今でもその悲しみは大きな傷となって残っていることを知ります。
この後、「納骨堂」と「風の舞」を案内いただきました。
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納骨堂は、明治42年に大島青松園が開園以来、園で亡くなられた2000名を超える方が葬られている場所です。
来年、瀬戸内国際芸術祭で展開される「やさしい美術」プロジェクトのアートディレクターの高橋さんは、約2年ほど大島へ通ってこられる中、大島へ来られた時に、一番最初に必ず行うのが納骨堂への参拝となっているようです。
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風の舞いは、亡くなられた方を火葬にし納骨した残りの骨を治めている場所で、平成4年、約1000人のボランティアで造られたモニュメントです。二つのモニュメントはそれぞれ天上・天下をイメージし、海に向かって据えられています。亡くなっても故郷に帰れない人が多かったようです。せめて死後の魂は風にのって島を離れ、自由に解き放たれますようにという願いが込められています。
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この後、3つの教室に分かれて大島の方に学びます。
高橋さんから、大島で名人と呼ばれる3名の方を紹介いただきました。
「名人」とは、かつて大島小学校に通っていた子供たちが名付けたものです。大島には、陶芸が得意な方、写真が得意な方、野菜や川柳をつくるの得意な方など、様々なことで得意な分野を持たれる方がいらっしゃり、その方たちと出会った子供たちが、いつのことからか「名人」と呼ぶようになったことから始まったと伺いました。
今回は、山本さんから陶芸、脇林さんから写真、森自治会長から施設について教えて頂きます。
(続きます。)
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納骨堂からみた空、美しいです。

多島海ツーリズム(日帰りプラン)大島

2009年11月11日

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日帰りプランに変更しました。
来年、瀬戸内海で開催される瀬戸内国際芸術祭の舞台となる2つの島(大島と男木島)を訪れます。
こちらは大島プランの紹介します。男木島プランはこちらへ。
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島々とアートの可能性〜国立療養所大島青松園〜」
日時/2009年1月21日(土)10:20〜18:00
費用/6,500円
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瀬戸内国際芸術祭の舞台の一つとなる大島では「やさしい美術プロジェクト」が展開されます。アートディレクターの高橋さんは、一年以上前から大島に訪れ、ゆっくりを時間をかけて島の方と交流を始められています。今回は、高橋さんが出会った大島の「名人」と呼ばれる方たちに講師になっていただき大島のことを学びます。
「名人」とは、かつて大島で暮らしていた子どもたちが、入所者の皆さんの様々な才能に触れて「名人」と呼ばれていたことから名付けられものです。
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大島は、香川県の県庁所在地・高松市から船で約20分の海に浮かぶ島。「国立療養所大島青松園」には、ハンセン病の治療を終えた方々が暮らしています。そこは、2010年に開かれる「瀬戸内国際芸術祭」の舞台の一つ。すでに「やさしい美術プロジェクト」のアートディレクター高橋伸行さんが島に入り、創作活動を開始されています。

今回のツーリズムは、大島の理解はもちろん、そこで展開されているアート活動を軸に、島の内と外(私たち)を結ぶ試みともいえます。ハンセン病と共に歩んだ、大島青松園の施設全体と島の景観を知りその体感を基に、私たちが瀬戸内国際芸術祭にどのように関わることができるか、そのことが大島と私たちの関係性にどんな変化を生み出す可能性があるのかを考えます。

(※やさしい美術プロジェクトとは、病院とアーティスト、デザイナーとの協働で 「安らぎのある医療環境」「地域に開かれた病院」を創出するアートプロジェクトです。)

 

■ プログラム1『大島を知る』

大島の歴史は、ハンセン病の歴史です。ハンセン病は、ハンセン氏によって1873年(明治6年)に『らい菌の体内侵入による慢性感染症である』ことが解ったことに因んで名付けられた疾患。1996年(平成8年)に『らい予防法』が廃止されるまでの間、日本はその患者たちを隔離する政策をとり続けました。大島は、その一つの場所す。現在、すべての患者さん(当時)は治療を終え、後遺症と高齢に伴うケアを主な目的として島に暮らしています。治療を終えているので、彼らは患者ではなく入所者と呼ばれています。

<先生:大澤宏敏さん/大島青松園職員>


■ プログラム2 『島で入所者に会う』

入所者自治会にて、入所者の方とごあいさつ。その後、「納骨堂」「風の舞」を参拝します。今も島に暮らす人たちにとって特別なこの場所で、これまで島に暮らしてきた人たちの存在に思いを馳せます。

 

 プログラム3 『名人講座』

治療を終えた後も島で暮らしている入所者を先生に迎え、3コースに分かれて過ごします。


★「Aグループ:森さん、野村さんと施設めぐり」

<先生:森和男さん(施設入所者/大島自治会会長)、野村宏さん(施設入居者/入所者自治会副会長)>

大島青松園の施設(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)を見学し、大島での暮らしについてお話を聞きます。

 

★「Bグループ:大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」

<先生:山本隆久さん(施設入所者/陶芸家)>

大島焼きのできるまでを映像で学び、その後ワークショップ「タイルをつくろう」に取り組みます。タイルは、瀬戸内国際芸術祭にて、カフェの内装に使う予定です。

 

★「Cグループ:脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」

<先生:脇林清さん(施設入所者/写真家)>

大島の自然を学び、その自然を記録し続ける脇林さんの写真作品の鑑賞をします。その後ワークショップ「大島の松を撮ろう」に取り組みます。松の写真は、瀬戸内国際芸術祭のギャラリーに展示する予定です。


■スケジュール

【当日の流れ】

1日目:1121日(土)> 【注意】昼食のお弁当、飲み物はご持参ください。

10:20 JR高松駅 コンコース内「DAITEMMAI」彫刻前 集合

詳細はこちらへ http://www.jr-eki.com/kakueki/takamatsu/index.html

10:30 高松駅改札2階に移動 オリエンテーション

詳細はこちらへ http://www.sunport.or.jp/guidance/index.htm

11:00 大島行きの船乗り場に移動

11:10 高松港発

11:35 大島着

11:45 プログラム1 『大島を知る』 開始(お弁当を食べながらの授業となります)

11:4513:00 大島の歴史と現状のお話/講師:大澤さん

13:0013:30 「納骨堂」「風の舞」を参拝

13:45 プログラム2 『島で入所者に会う』 開始

13:4514:10  入所者自治会にて顔会わせ。同時に「やさしい美術プロジェクト」の方とも、ここでお会いします。

14:1516:00 プログラム3 『名人講座』 開始


★Aグループ

「森さん、野村さんと施設めぐり」/講師:森さん、野村さん(施設入所者)

14:1515:20大島青松園の施設見学(大島神社、宗教地区、不自由者棟、病院、船小屋など)

15:2016:00 大島での暮らしについてなど、お話をお聞きします。

 

★Bグループ

「大島焼き〜山本さんとタイルをつくろう〜」/講師:山本さん(施設入所者/陶芸)

14:1516:00 大島焼 窯出し、大島焼のできるまで(映像にて、採土から精製まで、土練りから本焼成までを学びます)その後、ワークショップ「タイルをつくろう」

 

★Cグループ

「脇林さんと一緒に大島の様子を写真で記録」/講師:脇林さん(施設入所者/写真)

14:1515:30 大島の自然と向き合う〜脇林氏の作品鑑賞〜、ワークショップ「大島の松を撮ろう」

15:3016:00 作品発表会

 16:15 大島発

16:45 高松港着

   振り返りミーティング(自由参加)



【お申し込み・お問い合せ先】

NPO法人アーキペラゴ

TEL0878117707

MAILinfo@archipelago.or.jp

担当:片山(かたやま)

★保険加入の為、お申し込みには下記の記載事項の記載をお願いします。

●希望プログラム(AかB、Aの場合は3グループの内、いずれかを選択)

●お名前

●お名前(よみがな)

●メールアドレス

●〒

●住所(県名から)

●性別

●連絡先電話番号

【ご注意】

※1:昼食のお弁当、飲み物は各自でご用意ください。

※2:動きやすい服装でご参加ください。

※3:ンフルエンザの流行の程度によっては、大島に入る前に体調の自己申告を求める場合があります。あらかじめご了承ください。

※4:やむを得ない事情でツアーを中止する場合があります。ご了承ください。


■施設紹介

【体験の場 国立療養所大島青松園】

明治40319日に法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定され、同年722に日「内務省令第20号・同施行規則」が発令されたことにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになった。第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県。高知県の8県連合で第4区療養所として設置された。本園の創設に際して、明治40926日に設立申請を行い、明治41127日に認可・決定された。そして「第4区療養所」として、明治4241日に発足し、所在地・香川県知事の管理になった。患者定床は200床で、21名の職員定数が配置された。

明治43年に「大島療養所」と改称した。その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となった。昭和1671日、所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称し、さらに昭和21112日に『国立療養所大島青松園』と改称した。昭和224月から、入所者に患者慰安金が支給された(昭和46年『患者給与金』に変更し、国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改められた)昭和24年から、スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され、治療による軽快退所が始まった。昭和274月、付属准看護学院が併設されて、本園の看護職員の確保対策となった。(昭和53年『付属准看護学校』と改称され、平成11331日に閉校となる。)

昭和288月、『法律第214号らい予防法』が公布、昭和294月から患者家族への家族援護が開始、昭和36年から不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替えられ、昭和48年から園内の患者作業が職員による作業に返還された。平成841日『らい予防法』が廃止され、新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるようになった。さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行され、入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や『退所』『再入所』に関する規定が定められた。

平成11101日までの入所者数3,923名、退所者数823名、園内死亡者数1,970名。入所者の療養生活は、プライバシーを考慮した個室(単身用・夫婦用)に入居している。園内の設備はあたかも村落のようであり、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設等を備え、ここのライフスタイルが生かされている。また、給食センター・電気・水道・洗濯・環境整備等に関する施設と職員配置により、入所者の生活サービスがはかられている。日常生活に介助を必要とする人々は、不自由者センター(老人ホーム・身体障害者ホームのような施設)に入居し、看護師の健康管理や介護員の生活介助を受けて快適な日常を送っている。健康管理や病気治療のために、外来治療棟・リハビリテーション棟・病棟があり、通院・入院による治療を受けている。このような種々の環境の中で、入所者自治会を核として機関誌(青松・灯台)の発行、クラブ活動(カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸等)が続けられている。これらの活動は、園内のみに留まらず、地元地域や他の組織団体との交流に拡大されてきている。(以上「国立療養所大島青松園」より抜粋)


 

 ■教室紹介

【大島】

庵治港の北西約2.5kmの海上にある。古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。もともとは2つの島からなり、砂洲でつながった。標高67.6mと小柄な山体で、中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合の大島療養所として設立された国立療養所大島青松園がある。青松園では、昭和6年から入園者自身による自治会(協和会)が発足しており、昭和563月には自治会50年史の発刊もなされている。2010年の瀬戸内国際芸術祭の舞台となる島の一つ。

 

【男木島】

高松港から船で40分のところにある島。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段(島の散策で歩きます!)は、男木島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(ご存知でしょうか?1957年に松竹が制作、公開した木下惠介監督の映画作品)の舞台になったところです。


 

■ 先生紹介

森和男さん   大島青松園入所者/自治会長

1949年入所。現在68歳。9歳で大島青松園に入所し、高校は島外に通ったものの、人生の大半を大島で過ごす。大島における「自治」とは、辞書通り「自分たちのことを自分たちで処理すること」であり、森さんの症状は軽傷であったことから自治に尽力された。1970年代あたりまでは、埋葬も自治会の重要な任務のひとつであり、仲間が亡くなるたび、山に薪を取りに行って火葬し、手を合わせた。「人がお位牌になるまで、28巻の薪が必要なんです」と話す森さんの表情は、深くてやわらかい。2008年より自治会長となり、先日も高松市で行われた「ハンセン病問題基本法施行記念 講演と映画のつどい」において、ハンセン病療養所の将来構想について積極的に意見を述べられた。

 

山本隆久さん   大島青松園入所者/陶芸部所属

1952年入所。現在76歳。山本さんの活動の拠点としている陶芸教室は、1989年に国の施策で大島にできたリハビリ施設のひとつ。その時に初めて陶芸が身近なものとなり、いまからおよそ10年前にそこで創作活動を開始。何も分からない状態からのスタートで、美濃市や瀬戸市などの窯元に見学に行くなどして、その世界を深めた。島内の山から土を掘り出し、ふるいに掛けてと、およそ10ヶ月もかかる土づくりから焼き上げまでのすべての工程を手掛ける。「陶芸が社会交流の一助になれば」という願いをもちながらも、「先生という立場ではなく、訪れた人と一緒になって私も学びたい」と知的好奇心はとどまるところを知らない。

 

脇林清さん   大島青松園入所者/写真家

1948年入所。現在78歳。キヤノンのカメラで8年前から写真を撮り始め、現在はニコンD200300を愛用。レンズなどのカメラ機材は、官用船で約20分、そこからタクシーで10分くらいのところにある高松市街地の商店街に自分で足を運び、選ぶ。島内にある「大島会館」の廊下では、毎週、脇林さんの新作が発表される。脇林さんしか知らない島内の撮影ベストスポットも。写真を極める一方、キリスト教に対する信仰が厚く、島にあるキリスト教会のひとつ「大島霊交会」の季刊誌「霊交会(大正8年から発刊)」の足跡をたどることをライフワークとしている。霊交会をつくったメンバーが、島の自治会もつくったという点に着目し、島の歴史を後生に伝えることが自らの大事なつとめと自認。

 

大澤宏敏さん   大島青松園職員

1960年生まれ。O型。20代、30代は、映像デイレクターとしてローカルCM、瀬戸大橋博覧会、高松市政100周年式典などの映像制作に従事。40代から福祉業務に転身し、現在にいたる。6年前から余暇を活用して、高松市美術館ボランティア「civi」のメンバーに参加。「次世代の美術ファン・将来の芸術家」の発掘を目的に、小中学生を対象にした美術イベント、ワークショップなどを企画・実施している。老後は「大人を慰める」絵本作家になるのが夢。

 


 

 



多島海ツーリズム(日帰りプラン)男木島

2009年11月11日

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日帰りプランに変更しました。
来年、瀬戸内海で開催される瀬戸内国際芸術祭の舞台となる2つの島(大島と男木島)を訪れます。
こちらは男木島プランの紹介します。大島プランはこちらへ。
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島に暮らすということ〜男木島〜」
日時/2009年1月22日(日)9:15〜16:30
費用/8,800円(昼食代、保険料含む)
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瀬戸内国際芸術祭の舞台の一つとなる男木島。現在、男木中学校に通う生徒は3名です。2年後彼らが卒業した後は休校となる予定です。今回は、現在の校長先生柾木さんと、卒業生の方から男木島についてお話を伺います。昼食は男木島で民宿を営む浜上旅館の主に腕をふるっていただき瀬戸内海の新鮮な魚料理を堪能します。
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男木島は、高松市から船で約40分の海に浮かぶ島。ここに暮らす人々の多くは高齢ですが、豊かさと不便さが共存するこの島に今も暮らし続けています。大島とは少し違う理由で、過度の少子高齢化を迎えているこの島に、それでもなお暮らし続ける人たちと語らう時間から、僕たちは僕らの自身の未来を感じ取れるかもしれません。この島もまた、瀬戸内国際芸術祭の舞台です。

いっけん四方を海に囲まれて孤立しているように見える島々も、そこに暮らす人々も、実は一つの海によってつながっています。島を一つの社会として捉えたとき、このつながりは何を意味するのでしょうか。2つの島を渡り、それぞれの島に暮らす人それぞれの生き様を知り、それぞれの島に暮らす人それぞれが話し始める言葉に触れながら過ごす時間。それは、他でもなく僕ら自身の生き様や、他者との関係性を見つめなおす時間になるかもしれません。


■ プログラム1『校長先生と歩く男木島』

男木中学校には現在、2年生が3名在籍しています。1年生と3年生は0名で、彼/彼女たちが卒業を迎えると休校になることが予定されています。その学校の校長先生の出迎えを受け、港で簡単な自己紹介をした後、校長先生の案内で島内を散策します。

<先生:男木中学校長/柾木俊幸さん>


 ■ プログラム2『休校予定の男木中学校で学ぶ』

いまの在校生が卒業すると休校となる男木中学校。中学校の様子を見学した後、その歴史やいまの様子を通して、島で学ぶとは?島で生まれ育つとは?といったテーマを考え、僕ら自身の生き様や、他者との関係性を見つめなおす時間にします。

<先生:男木中学校長/柾木俊幸さん、男木中学校OB/調整中>

■スケジュール

【当日の流れ】

1122日(日)> ★昼食は新鮮な魚料理です。

9:15 JR高松駅 コンコース内「DAITEMMAI」彫刻前 集合

詳細はこちらへ http://www.jr-eki.com/kakueki/takamatsu/index.html

9:25 高松港旅客ターミナルビルへ移動 オリエンテーション

詳細はこちらへ http://www.sunport.or.jp/guidance/index.htm

10:00 高松発

10:40 男木島着

10:40〜 プログラム1 『校長先生と歩く男木島』/先生:男木中学校長・柾木俊幸さん

11:3013:00 昼食@浜上旅館

13:1514:10 プログラム2 『休校予定の男木中学校で学ぶ』/先生:男木中学校長/柾木俊幸さん、男木中学校OB(調整中)

14:30〜 男木港に向けて出発

15:00 男木島発

15:40 高松港着

   振り返りミーティング(自由参加)


お申し込み・お問い合せ先】

NPO法人アーキペラゴ

TEL0878117707

MAILinfo@archipelago.or.jp

担当:片山(かたやま)

★保険加入の為、お申し込みには下記の記載事項の記載をお願いします。

●お名前

●お名前(よみがな)

●メールアドレス

●〒

●住所(県名から)

●性別

●連絡先電話番号


【ご注意】

※1:フェリーに乗り込む前にチケットをお求めください。(往復1000円)

※2:昼食の飲み物代は、別途必要となります。

※3:動きやすい服装でご参加ください。

※4:やむを得ない事情で、中止させていただくこともあります。ご了承ください。